どうもモケリンです。
情報社会と言われてどれぐらいか分かりませんが、スマホが普及してから確実に情報の量が増えたように感じます。
今は特にコロナの影響もあって、私も頻繁にニュースをチェックしてしまいがちでした。
しかし!これがまぁ疲れる、そして鬱っぽくなるんですよね(涙)
本当に必要な情報なのか?
辛くなるなら見なければいいのに、ついついスマホのチェックが欠かせない。
少しでも情報を早く仕入れたいし、多くのことを知って安心できる材料を見つけたい。
そんな今現在、気づいたことは、
「安心できる内容よりも、不安になる内容のほうが多い」
ということ。
森博嗣さんの『集中力はいらない』の中では、
過剰な情報が押し寄せているといっても、それらの多くは、ゴミのような雑音であり、しかも、無料だからもらっておこうと許容しているために降りかかってくるにすぎない。
『集中力はいらない』より引用
と書いてあって納得しました。
無料で得られる情報の多くは「宣伝」であり、マスコミが伝えたいように意識的に表現が歪められている、と森さんは本に書かれていますが、これってまさに!じゃないですか?
ニュースを見る時間が増えたおかげで、情報の操作が頻繁になっている事実にビックリしていました。
でも気づいていないだけで、情報操作というのはもうずっと当たり前だったんでしょうね。
本当に欲しい情報が手に入りにくいと、森さんも書かれていますが、これもまた事実ですよね。
シャワーの中に入ることを選んでいた
本の中で、
気が散ってしまい大事なことに集中できないほど、大量の情報がシャワーのようにあなたに降りかかっている。(中略)ただ、誰かがあなたに浴びせているのではなく、あなたがシャワーのコックを捻った結果なのだ。『集中力はいらない』より引用
と書いてあり、これもグサッときました。
「スマホをいつもチェックしろ!」と、誰かに命令されているわけじゃない。
チェックすると決めているのは自分なんです。
情報に疲れているのではなく、チェックせざるを得ない状況に疲れているのかもしれないですね。
SNSをやらない森博嗣さん
森さんは、
僕は、SNSは、大衆の感情的な情報ばかりを集めるだろう、と考えたので、そこから離れることにした。
『集中力はいらない』より引用
ということで、SNSをされていないそうです。
これも本当にその通りだな、と最近は特に思います。
コロナ以前は楽しい場所だった気がします。
でもコロナ以後は、なんだか殺伐とした部分が拡大して見える気がする。
これは私の捉え方の問題かもしれません。
自分の心が殺伐としているから、周りのこともそういう風に見えるのかも。
どちらにしても、自分が楽しくないと思う場所にいる必要はないんですよね。
ネットとの付き合い方について考える時間が増えた
コロナをきっかけにして、ネットとの付き合い方を考える時間が増えました。
今までは無意識にスマホを触っていて、SNSなどに費やす時間は起きている時間の半分以上だったと思います。
何をするにも片手にスマホがいる。
そんな状況が嫌だけど、やめると決意してもまた触ってしまう、というジレンマに陥っていました。
良い部分もあるけれど、「依存」してしまうのは良くないことだと思うんです。
きっかけがコロナであったとはいえ、こうして改めて距離を取ることの大事さを教えてもらえたことには感謝です。
これからは適度な距離感を保ちつつ、お付き合いしていきたいネットとSNS。
ネットに「支配」されないように過ごしたいと思います。