「できることを頑張ろう」という処理の仕方は、負け戦で観察されるもの。
これは森博嗣さんの『森籠りの日々』の中に書かれていた言葉です。
闇雲に頑張ればいいってものじゃない
何かのプロジェクトを進めていたのに、成果が挙がりそうにないと途中で分かったとき。
みんなの「やる気」は下がるばかり・・。
そんな時に上司は、
「とにかくできることを頑張ろう」
「自分の任務に集中しよう」
などと声をかける。
辛さには耐えるんだ!!
しかしこの状態に対して森さんは、
「できることを頑張ろう」とか「自分の任務に集中しよう」という処理の仕方は、多くの「負け戦」で観察されるもので、ある種の「諦め」で残りの戦いを「消化」しよう、というものです。
『森籠りの日々』より引用
と書かれていました。
さらに、
人によっては、「巻き返し」を狙って、頑張る場合もありますが、やっていることは変わらないわけですから、少々ピッチが上がったところで結果が大きく変化することはありません。
『森籠りの日々』より引用
とも書かれていました。
結果が変わらないからって、手を抜くんじゃないよ!!
大事なのは変化
このままでは駄目だと分かっている場合。
「頑張る」という選択ではなく、これまでになかった道へ切り換えることが大事
と、本に書かれています。
駄目だと分かっている方法を続けていても、結果には繋がらないんですもんね。
だったら別の道を探すしかない。
別の道を探すと迷子になりますので、お気を付けください。
『森籠りの日々』には、
頑張ることに逃避して、道の選択、判断をしないで済ませようとしてませんか?
と、書かれています。
今までのやり方を懸命に守っているほうが、新しい道を切り開くよりもはるかにラクですよね。
それに今まで頑張ってきた時間を、無駄だったとは思いたくないし。
こんなに汚れ仕事をしているんだもの、そりゃあ報われたいですよ。
出来れば、今までやってきたことで結果を出したい。
それが本音ですが、結果が出ないものに時間を割いても、結果は出ないのが現実。
ここまで分かっていても、つい固執してしまうんですよね・・。
反省。
一生懸命やればいいってもんじゃないんですね。
本の中に、
「一生懸命やったんです」が言い訳になるのは、幼稚園か小学校低学年まででしょう。
と書かれていました。
私自身、「一生懸命」やっていればそれで済むと思っていました。
「無理をしてでも頑張る」
「頑張りさえすれば何とかなる」
そう考えていました。
まるで悲劇のヒロイン気どりだったよ、ゴメン。
けれど「頑張る」ところを間違えたままでいれば、骨折り損のくたびれ儲けなんですよね・・。
頑張る場所は、常に変化する。
だから軌道修正は、何度も何度も繰り返す。
これを忘れないようにしようと思います。