「嫌われたくない」は人を退屈にさせる
これは、夏生さえりさんの『今日は、自分を甘やかす』に書かれていたものです。
嫌われないことで得られるもの
本には
嫌われないようにふるまって得られるのは唯一「不快にさせなかった」という達成感だけで、嫌われないようにふるまって「好かれるようなこと」はあまりない。
とありました。
嫌われないように頑張っても、得られるのは
「不快にさせなかった」
という自己満足だけなんですってよ、奥さん!(誰)
奥さんですけど何か?
「不快にさせなかった」
というのは、こちらが勝手に思っていることであって、相手が本当はどう思っているのかは分かりません。
本当は相手が怒っているのかもしれない。
けれど、自分では
「不快にさせなかった」
と思って達成感を得ていたとしたら・・。
こんなアホな話もないですよね。
今まで人に嫌われないようにと、必死だった私。
でもこの文章を読んで、今まで頑張ってきたことが、アホらしくなりました。
君がアホなことは知っていたよ。
自分勝手な幻想
「人に嫌われないようにしたい」
という考え自体、自分勝手なもの。
取り繕っていい顔をしても、相手を退屈させるだけでもあるなら、嫌われないように行動する意味ってあるのだろうか?
あるわけないだろう。
嫌われない努力って、疲れるだけで意味がないですね。
取り繕っても疲れるだけだし、自然体でいるのが一番ですな。
最低限のマナーは守るとしても、嫌われないようにとふるまうのはやめます。
と、以前にも同じようなことをブログに書いていました👇
何度も同じようなことを書いていないで、成長しようね、私。
君は成長する気がないんだと思うよ。