塩谷舞さんのnoteを読んで、「傑作」について考えていました👇
塩谷さんは、もともと絵を描くことが好き。
チラシの裏に描いた自由な絵は、褒められることもあったそう。
しかし、いざキャンパスに描こうとすると、思ったように絵が描けない。
力が入って、気づいたら子どもっぽい絵に仕上がっている。
「傑作を書こう」
と思う気持ちが、駄作を生んでいる。
その事実に嫌気がさして、絵を描くことを続けられなくなった塩谷さん。
結局、絵を描くことを辞められたそうです。
「傑作」を書きたくて、でも駄作しか生まなくて夏。
そんな状況に嫌気がさすというの、まさに今の自分のことを言われているかのようで、鼻息を荒らしながらめちゃめちゃ共感しました。
(めちゃめちゃって死語なんですってね、知りませんでしたし今後も使いますけどねbyアラフォー)
面白い文章を書きたいのに、書けない。
そんなジレンマを抱えて、なかなかブログを仕上げることが出来ない。
下書きがどんどん溜まっていく。
出すもの(ネタ)はあるのに、出すことが出来ない。
かなりの便秘状態。
何をそんなに気負っているんだ。
俺はプロでもないのに!!(行き詰まると性別が変わります)
そう思う気持ちもあるのに、どうしても「傑作」を書きたいという気持ちが強い。
塩谷さんの文章を読んでいて思ったのですが、自分が好きなものだからといって、相手も好きになってくれるとは限らないんですよね。
例えば、私なら文章を書くことが好き。
けれど文章が私を好きになるとは限らない。
どれだけ書くことを続けていても、文章にはそっぽを向かれたまま、永遠に分かり合えない可能性もある。
そうすると、私はずっと文章が下手くそな人。
何でも続けていたら、そこそこ上手になるとか言う人もいる。
けれど、上手にならない場合だって、世の中にはたくさんあるんですよね。
自分に合う合わないというのは、必ずある。
私にとって合わないなと思っていること、考えてみたらたくさんありました。
掃除に洗濯に料理、アイロンがけに縫い物などなどエトセトラ。(主婦として致命的な部分が特化して苦手)
もしかしたら自分には合わないのかもしれない。
永遠の片思いかもしれない。
それでも続けていきたい!
そう思えるものに出会えたら、それはめちゃめちゃラッキーなんでしょうね(またまた死語を使ってやったぜ!)。
私の場合、片思いであっても、やはり文章は書いていきたい。
「傑作を書きたい」
という気持ちは忘れて、今後も気負わずに気楽に、ブログを書こうと思います。