目が見えない、耳が聞こえない、話せない。
そんな三重苦を抱えていた、ヘレン・ケラーという女性。
そんなヘレン・ケラーに対して物申している本を読みました。
この本の著者・ジョージナ・クリーグさんは視覚障害者。
「どうしてヘレン・ケラーのようにできないの?」
と言われて育ってきたんだそう。
過去に偉業を成し遂げた人がいると、同じような境遇の人って比べられてしまうのでしょうか。
私自身、障害は持っておりませんが、ヘレン・ケラーと比べられたことはあります。
不登校児だったのですが、
「ヘレン・ケラーという女性は、三重苦でも頑張っている。
あなたは三重苦じゃないんだから、もっと頑張れるでしょう」
と、教師や周りの大人に言われました。
言いたいことは分かりますよ。
「障害を持っている人が、ハンデを抱えながらも頑張っている。
ハンデがない健常者は、もっと上を目指せるのにどうしてやらないの?」
ってことが、言いたいんでしょう。
当時はこの発言に対して、反発していました。
しかしですよ。
親になったら、あの時の大人の気持ちを、自分が持っていることに気づきました。
私の娘は身体障害者。
手足を自分の思うように動かせないので、重度の身障者です。
子どもの「出来ないこと」に目が向きやすいのが、親という生き物。
娘は「出来ないこと」のオンパレード。
「障害があるんだから、出来ないことがあるのは仕方がないこと」
と思ってみても、「出来ないこと」を受け入れられない。
頑張っている娘に対して、
「どうして出来るようにならないの?」
と、口に出してしまったこともありました。
頑張って出来るようになった人が、過去に存在していたという事実。
これを励みに出来る人もいるかもしれない。
でも中には、偉人と比べられて、しんどい思いを抱えている人もいるはず。
そんな思いを代弁してくれる『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』。
娘にはヘレン・ケラーのような、大きな存在になって欲しかったんだと気づきました。
偉人のようになって欲しかった私の勝手な思いに、娘が応える必要はどこにもありません。
私がしていくことは、娘の成長を見守ること。
サポートしつつも、本人の成長を信じて見届ける。
期待せず、焦らずに、見守る。
何て難しいんでしょうね、子育ってってね。
難しいし、へこたれそうになる。
それでも子どもたちが笑っていると、私も嬉しいので、これからも頑張ります。
6割ぐらいはね。