「人は禁止されたものに対して、余計に執着してしまう」
というのが、カリギュラ効果というらしいですね。
最近、息子のゲーム時間について悩んでいたんですよ。
長時間はさせないほうがいいよね?
けれど、本人の好きなことだから、好きなだけさせてあげたいし・・。
相反する思いを抱き、毎日思い悩んで夜もぐっすり眠ってしまう母。
そんな中で読んだ、ひろゆきさんの『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』に、ゲームを禁止にする話が書かれていました。
本には、
「ゲームを好きなだけやっていいよ!」
と、ゲーム関係者の親に言われた、男の子の話が登場します。
家にゲームが溢れている。
けれどその男の子は、毎日サッカーばかりしていたそうです。
ただこれって一例なので、全員が同じようになるわけではないですよね。
「ゲームを好きなだけやっていいよ!」
と言われて、寝る間も惜しんで、ゲームに没頭してしまう子もいますからね。
このエピソードは、本人がゲームを好きかどうかで、結末が変わる気がします。
サッカーばかりしていた子は、ゲームが好きじゃないだけだと思う。
ゲームと子ども。
メディアと子ども。
これらは、正解があるようで無いですね。
そういえば私、以前にこんな記事を書いていました👇
自分だったらどうかな?
禁止されたら、やりたくなる。
実験のために、自分に禁止してみることにしました。
私が自分に禁止したのは、ブログ。
「ブログを書いたらダメ」
と、勝手に決めてみました。
その結果、2日間は我慢できました。
しかし月曜日(今日)になって、猛烈にブログが恋しくなって、現在こうしてブログを書いています。
「ブログが書けないよー!!」
と悩んでいた時もあった私。
この解決法として、
「出来ないと悩むぐらいなら、いっそ禁止にしてしまったら良かったのでは?」
と思いました。
これで気づいたこと。
禁止にした結果、やりたい気持ちにならないものは、本当にやりたくない。
本当にやりたくないものは、禁止されても執着心が芽生えませんね。
ここで気づきましたが、私はここ半年ほど、ゲームを禁止していました。
やり始めると時間を忘れて没頭してしまうので、止めてたんです。
「ゲームを禁止したら、またやりたくなるかな?」
と思っていましたが、半年たってもやりたくならない。
私にとって、本当にやりたかったことじゃないんでしょうね。
ただこうして自分のやりたいことなどを、冷静に振り返れるのは、年齢を重ねたらからだと思います。
子どもの頃なら、親に禁止されたものは、何でもやりたくなったと思う。
親には反発したくなるからね。
・・・息子にゲームを禁止することはやめようっと。