頭の中に吐き出したいものがあるのに、うまく言葉にできない。
そういう時は、自分の中に「言葉」が足りていないのかもしれない。
そんな風に思っていたら、近藤康太郎さんの『三行で撃つ』に、
「古典を読んで、文章を書こう!」
という話があった。
古典を読んで、文章を学ぶ。
言葉をどんどん頭の中に入れる。
そうすることで、もっとスムーズに(?)文章を書くことが出来るようになるらしい。
私の大好きな桜庭一樹さんも、読書日記の中で、
「小説を書く前に、本を読む。
そうしないと言葉が出てこない」
といったことを書かれていた。
インプットを大量にするから、文章が書けるんだなあ。
今の私も書きたい欲はあるけれど、出てくる言葉が少ない感じ。
こういう時は、自分の中に言葉が足りていないのかも。
それか単に、考えがまとまっていないか。
文章を書くというのは、書くことに意識が向いている。
そのため、「読む」という行為がセットでついてくることを、スコーンと忘れてしまいがち。
「書く」と「読む」は、ハンバーガーとポテトのように、切っても切れない関係であるはずなのに。
古典を読むのは、1日10分でもいいと『三行で撃て』に書かれていた。
10分ぐらいなら・・という気持ちで始めてみようかな。