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子どもへの「注意」は、憎しみをぶつけているだけかもしれないから

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親が子どもに「注意する」。

これは、当たり前のことだと思っていました。

 

子どもが将来困らないように「注意する」。

そうやって皆、大きくなるんだと思っていました。

 

しかし「注意する」というのは、憎しみをぶつけているだけかもしれない。

加藤諦三さんの『「自分の心」をしっかり守る方法』を読んで知りました。

 

たとえば養育者である親が、神経症的傾向の強い人だったとする。親には隠された憎しみがあった。そこで親は常に子どもを否定し侮辱したかった。

その相手を否定し侮辱するための口実が「注意する」だった。

『「自分の心」をしっかり守る方法』より引用

 

親には隠された憎しみがある。

けれどそれを自分でどうにかするのではなく、子どもにぶつけていたんですね。

 

本には、

子どもはほんとうの意味で、注意されたことはなかった。

と書かれていました。

 

何かにつけて「注意される」子どもは、ただ憎しみをぶつけられているだけ。

 

さらに、

親の注意には常に「お前はだめな人間だ」というメッセージが隠されていた。

ともありました。

 

これを受けて。

 

「注意される」子どもだった私は、「注意する」親になっています。

自分でも嫌になるぐらい、子どもたちに「口うるさい」原因が分かりました。

 

親にされた「ダメ出し」が、とても悲しかったこと。

悲しみは、怒りや憎しみに変わっていたこと。

怒りや憎しみは、子どもたちにぶつけられていたこと。

 

この流れに気づいてから、自分が妙に落ち着きました。

自分の中に、悲しみや憎しみがたくさんある。

そこに気づいただけでも、気持ちが少し軽くなりました。

 

そして子どもたちに「注意」したくなったら。

それは本当に「注意」なのか?

それとも「憎しみをぶつけるための口実」なのか?

どちらなのかを考えてみる。

 

実際に考えてみると、「憎しみをぶつけるための口実」が圧倒的に多かったです。

相手のすることにケチをつけて、憎しみを発散させていただけでした。

私がしていたのは「いちゃもん」だったと気づきました。

 

親の勝手な憎しみのせいで、子どもに被害が出るなんて。

こんな迷惑な話って無いですね。

さっさと止めます。

 

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