モケログ

読書を通じて学んだこと、好きなことあれこれどれそれ。

「絶対の正解」なんて無いことを知る

f:id:mokerin:20210701093228p:plain

 

物事には「正解」が存在する。

そう思ってました。

 

けれど「正解」って何よ?

とも思うのも事実。

 

「絶対の正解」なんて、この世にあるのか。

 

そんなことを苫野一徳さんの『勉強するのは何のため?』を読んで考えていました。

 

 

子どもたちに、

「どうして学校に行くの?」

「どうして勉強するの?」

と聞かれると、ついつい言葉を濁す私。

 

え?子どもは学校に行くって決まってるからじゃないの?

勉強は大人になって困らないようにじゃない?

 

そんな答えしかできない私。

しかも疑問を疑問で返す。

 

『勉強するのは何のため?』では、

「どうして学校に行くの?」

「どうして勉強するの?」

この問いに対する「正解」なんて無いということが、まず最初に書かれています。

 

問いかけに対する答えって、人によって違うわけですよ。

勉強していい会社に入って、給料をたくさんもらうことを良しとする人もいる。

学校の勉強なんてする必要ないよ、自分で学びたいことを学べばいいという人もいる。

 

これらが「正解」でもなければ、「間違い」でもないんだそう。

 

「答え」は一つじゃないのです。人によって、また時と場合によって、勉強する意味や理由はさまざまに変わるし、またいくつあってもいいのです。

『勉強するのは何のため?』より引用

 

誰にとっても「正解」なんてないことを、まず知ること。

ここからスタートしないと、あとで苦しくなるんだそう。

 

正解があると思うから、わたしたちはどん詰まりに行きあたるのです。正解のない問いに正解を求めたって、わたしたちはどこへも行きつかないのだから。

そしてそんなどん詰まりに行きあたった時、わたしたちは多くの場合、「もうどうだっていいや」と思うようになってしまいます。悩んだって結局意味がないんだから、そんな問題、考えたってしょうがない・・・。

『勉強するのは何のため?』より引用

 

まさに私はこの

「もうどうだっていいや」

という思考になっていました。

 

答えが確実に存在しているなら、気分的にはラクですよね。

正解があるなら、そこへ向かえばいい。

たどり着くかは分からないけれども。

 

問題は答えが無い、正解がない場合。

向かう先をどうやって決めたら良いのか、そこに悩んで悩んで行き詰まる。

 

『勉強するのは何のため?』でも、自分の「正解」を見つけるしかないと書いてありました。

 

そのために必要なのは、

「絶対の正解なんてない」

ということを知っておくこと。

 

これが大事なんだそうです。

 

子どもたちの

「なんで勉強しなくちゃいけないの?」

の問いに、答えられるようになるかな?と思って手に取って本でしたが、哲学がドン!とやってきて私自身が消化しきれません。

 

でもこうして、親として考える時間を持つことは、子どもたちのためではなく、自分のために大事だと感じました。

考えることを放棄すると、その時はラクだけど、後々の自分が苦しい。

 

意味もなく勉強するよりも、意味があって勉強するほうがいい。

意味もなく生きるよりも、意味があって生きるほうがいい。

 

後のことを考えて、今の自分の頭をフル回転させる。

疲れますけど、これはこれで有意義な時間・・のはず。

 

子どもたちに答えられるように頑張ります。