モケログ

有益なことは何も書きません。いや書けません。

「当たりが強い人」にならないようにしたい

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この世で一番怖いのは接客業経験があるのに店員への当たりが強い人

というツイートを見かけました。

 

うちの母がまさにこの「当たりが強い人」。

 

母は、飲食店の接客業経験者なんですが、飲食店に入るたびに

「あの人、もっと機敏に動けないのかな?」

「今の時間でササッと動けるでしょ!何やってんの!?」

と、本人には言わずに、陰でグチグチ言うんです。

 

当人に言わないだけマシと思っていたけれど、「当たりが強い人」であることに変わりはなく、身近で愚痴を聞かされる私と父にとってみたら、ただの迷惑でしかない(父は事なかれ主義でもあるので、笑って流していたけれど)。

 

そんな母を見て育った私も、接客業経験者となりました。

しかし私は、接客業をしている人たちに

「接客業って大変ですよね」

という気持ちしかわいてこないんです。

 

何故だろう?と考えてみたものの、

私は仕事が出来なかったからではないか?

という結論しか出てきませんでした。

 

人様に対して、あれこれと指摘できるというのは、それだけの実績が必要だと私は思っているんです。

接客に対してダメ出しが出来る人は、ダメな接客をしたことが無い人だと思っていました。

 

なので、キビキビと動けずに失敗ばかりしていた私は、人のことをとやかく言えるものがない。

自分が出来なかったことだから、相手が出来なくても「当たり前」って思っちゃうんですね。

 

この「当たり前」がくせ者だな、とも思いました。

自分が出来ることは「当たり前」だから、相手も同じように出来るだろうと判断してしまうことって、やっぱりあるんですよ。

この考え方は危険ですよね、人と自分は同じ生き物じゃないんだから。

 

この「当たり前」を、痛みや辛さにも当てはめようとすると、余計に厄介な話になりますよね。

タンスの角に足の小指をぶつけたら痛いけれど、その痛みは人によって違うじゃないですか。

痛くて泣いてしまうひともいれば、ぶつけた拍子に小指の骨を折っているのに、平然と車の運転をしている人もいる(後者は友人の実話です)。

 

人には人の事情があるし、痛みの感じ方だって違うし、辛いと思うことも万人共通じゃない。

そういうことは分かっているつもりだったけれど、本当には分かっていなかったかもしれないな、と冒頭のツイートを見て思いました。

 

私は見知らぬ人に対して「当たりが強い人」にはなりませんが、身内が相手になると「当たりが強い人」になってしまう。

そこには自分が勝手に判断している「当たり前」があるからかもしれない。

これぐらい出来て当たり前だろう、という判断を家族にはくだしている。

 

そんな「当たりが強い人」の思考になっている時は、たいていが疲れている時なので、自分を休める方向へとシフトチェンジしようと思いました。

「当たりが強い人」にならないように気をつけよう・・。